日記_20190127

2018年1月24日(木)

9時に起きた。12時頃まで家にいて、コンビニまで散歩した。

17時頃にウィリアム・フリュエの『ウィークエンド』を見た。

思い返そうとしてみるとそこまで印象に残っていないということは、面白くなかったのか。ウィリアム・フリュエがなんとなく好きだけど、うまく説明出来ない。なんというか見ていて安心する。暴力も痛くないというか。どこかのんびりとしているところがある。

夕食にすき焼きを食べた。父が誕生日ということで、ひさしぶりに夕食を一緒に食べた。父は自分より不器用だ。

 

2018年1月25日(金)

なぜか2時頃に起きた。

菊地成孔の『あたしを溺れさせて、そして溺れ死ぬあたしをみていて』を読んだ。村山さんに勧められて読ませてもらった。菊地成孔の映画評すら読んだことがなかったが、面白かった。官能小説というより何だろう。後半部で説明のようなエピローグ(?)が入るがそこが面白い。新宿なども含めて都会に住む人間を描写している。ある種の文化評のようにも思った。

勢いづいてアーサー・マッケンの『白魔』も読んだら朝になった。オチがないのが気になったが面白かった。魔女(?)の手記という設定のものが延々と書かれていて、何を自分は読んでいるんだろうと時々思った。

もう起きていることにしてルカ・グァダニーノの『サスペリア』を見て、神戸映画資料館で『ゾンからのメッセージ』の初日に行った。

サスペリア』は結構寝てしまった。でも、話はなんとなく分かったように思う。分かりやすい面白さがなくてあまり好きじゃなかった。ブラック・スワンだったらイマジナリー・フレンドのような母やミラ・ニクスはやはり大きかった。それでも、ジェシカ・ハーパーに再会するくだりはうるっとしてしまった。

ゾンからのメッセージ』は複数回見てやっと話が分かってきた。他のことはまだ追いついていない。ゾンってなんだろうって考えるとあのシネカリグラフィーで、あれがなんだろうって考えるとやっぱり映画だと思う。鈴木卓爾さんの映画なかでも一番王道のようにも思った。

 

1月26日(土)

神戸映画資料館鈴木卓爾さんと古澤建さんのトークを聞いた。

このトークが本当に面白くて、間口が広い上にかなり突っ込んだことまで話していたように思う。鈴木卓爾さんと古澤建さんがどのようなことを意識して作っていたかなど本当に面白かった。特に映画という層の話が印象的で、映画って薄膜一枚隔てた向こうには何もないのかもしれない。

帰って謎肉丼を食べてから寝た。

 

1月27日(日)

8時半頃に起床して、9時半に外出した。

中央図書館で色川武大の『狂人日記』を返して、スタニスワム・レムの『ソラリス』を借りた。昨日のトークで出たのはタルコフスキーの映画版のことだったが。

『ハングリー・ライク・ゴダール!』がとても好きで、鈴木卓爾さんの映画を見るといつも自主映画というのが本当に悪い意味ではなくて感じる。決して自分のことではなくて。学生時代に自主映画を見ていた時になんか変なものを見たという感覚があった。それも鈴木卓爾さんや平野勝之監督の映画を見たからだ。根っこの部分である人が変わっていないことが嬉しかった。

『All Night』は本当に淡々とした映画で、映画館がとても親密なものに思えた。

『怯える』は、どこか怪談のような映画だった。犯罪が連鎖していくことが、高橋洋の『夜は千の眼を持つ』や黒沢清の『CURE』とダブって見えた。ラストのパンが印象的で、これも何かの境界についての話のように思った。